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悩めるサラリーマンが悩んだ挙句に転職するまで

人生の基本戦略と人生を変えるための確かな方法

人間は好きに生きることができる。しかし人生は思った通りにはならない。

この矛盾を解消するために、僕たちができることがある。それが人生の戦略を立てること、そして戦略を効果的に実行することである。以下に基本的な考え方と実行方法について書いた。参考になれば幸いである。

 

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人生戦略の基本は「選択と集中」である

これはGE社のCEOであったジャック・ウェルチ氏が実践した、あまりに有名な企業における戦略論である。ジャック・ウェルチ氏は、徹底的な事業整理とリストラを敢行し、注力すべき事業経営資源を集中させたことによりGE社の業績を飛躍させた。

まさに選択と集中である。

この「選択と集中」は、人生においても適用可能であると僕は考えている。もっと大げさに言おう。僕は人生とは、選択と集中が”全て”だと言って良いと思う。

なぜ”全て”なのか。それは、選択と集中が人間の”逃れられない真実”に即した考え方であり、とても現実的な理論だからだ。

では、逃れられない真実とは何か。それは、人間は”いつか死ぬ”ということである。いつか死ぬということは命は有限であるということ。

つまり、あなたの人生において命=時間は有限なのだ。

時間だけではない。あなたが持ち得るカネやモノ、資源と言えるもの全てが有限である。この真実は、「できることと諦めることを分ける」ことの必要性をもたらしている。

もし資源が無限に湧き続けるのであれば、あなたは選択なんかしなくて良い。全てやってしまえば良いのだ。

ただし、人間に与えられた資源は有限であるという真実から僕たちは逃れられない。だからこそ限られた資源を最も大切なものに集中して投じることが、個人の戦略においても重要なのである。

選択と集中がいかに必要かは理解して頂けたと思う。しかしだ。実を言うと選択の本質は今説明した中には存在していない。選択の本質とは「何かを選びとること」では決してない。

選択の本質とは「手放すものを決めること」である。

僕は40代から50代の先輩方が後悔しているさまを何度も見た。彼らは自分たちの余生を考えたとき、初めて「時間が有限である」ことに気づいたのだと思う。

いつでも何でも選択できるような気がしていて、意図的に手放すことができずに今に至ったのだろう。

"選ぶこと"と”手放すこと”は同義である。これは言葉遊びではない。しかも人間の脳は手放したものの価値を大きく見積もってしまうようできている。人間は何かを手放すと、必ずと言ってよいほど後悔する生き物なのだ。

あなたは選ばないと決めたことに、絶対の別れを告げられるか。またその別れを受け入れ、そちらを見ずに人生を歩めるか。

これが選択の本質であり、 選択と集中を成功に導くための気構えである。

 

企業における選択と集中の誤り(※補足)

今回の記事は人生の話であるが、より理解を深めるために、企業の「選択と集中」について、一部補足しておこう。 時間が無い方は読み飛ばしてもらって構わない。

選択と集中」という言葉でgoogle検索すると、日本の大手企業の失敗例を説明するネガティブな記事が上位に表示される。

中身を見てみると、「選択したものが間違いだった」という話や、「今の時代において選択と集中は最早通用しない」といった具合の論調だ。しかし僕の言い分は少し違う。

先ほど述べたように選択と集中とは、資源が有限であるという前提に立つことで生まれる戦略である。しかし、あの大手企業はどうだっただろう。

"大企業病"と言って良いと思うが、大企業内の人間はおそらく、”この企業は恒久的に存続する”という前提に立って仕事をしていたのではないか。

確かに企業は人間の寿命を遥かに超えて生きることができる。また、大企業は人間一人が想像し活用する資源量に比べ、明らかに潤沢な資源を持ち活用している。しかし決して無限ではない。

ようは「もし、これが失敗しても資源はまだまだある。会社は死なない」、「もし、これが失敗しても時間はある。いつでも舵をきりなおすことができる」と思っていたのではないか。

「選択すること=手放すこと」が決して十分ではなかったのではないかと僕は推測している。企業も人間も無限に生き続け、無限に稼ぎ続けることはできない。その前提に立つことは大企業であればあるほど、難しいのだろう。

だからこそ、大企業であるはずのGE社が「選択と集中」をきちんと全うできたことは、今もなお讃えられているとも考えられる。

 

人生の挑戦は「リスクマネジメント」を必ず行う

僕たちは選択ができたら集中しなければならない。集中とはすなわち挑戦である。僕たちは予測することが非常に困難な未来に飛び込まなければならない。

そこで、不測の事態を免れるために生まれる考え方が「リスクマネジメント」である。

巷で言われるリスクマネジメントとは、選択肢を広げ、分散投資することで1つあたりのリスクを小さくする(=リスクヘッジ)という考え方だ。これは、先述の「選択と集中」とは真逆の思想だ。

しかし、僕たちは凡人だ。例え凡人が持ち得る有限の資源を、リスクヘッジ的に分散投資したところで、回避できるリスクは減ったとしても、得られるリターンは微々たるものになるだろう。

そこで、だ。僕たちが最も考えなければならないリスクマネジメントとは、「挑戦のリスクを小さくすること」ではなく、「得られるリターンを最大にすること」である。

集中するのだ、リスクは取らざるを得ない。と言うより、リスクゼロの投資はどんな場面であれ、あり得ないことであり、そもそも挑戦はリスクを取るものだ。

僕たちの人生戦略で最も恐れることは、投資効果を最大限に得られないことである。リターンの最大化を阻む要因として、ありがちな例を2つ挙げておく。

・そもそも資金と時間を集中できていない

リターンがあるとわかれば、惜しげもなく講習会などに参加しているだろうか。関連する書籍は足りているか。人生は一生勉強である。

「今日は疲れたから」、「彼女と遊ばないといけないから」なんて悠長なことを言っていないか。遊ばないのではなく、言い訳に使っていないかをよく自問自答するべきだ。

・失敗したくないので、準備しすぎる

あれもこれも準備しようとしていないか。準備はいらないとは言わない。しかし、準備をするのにも時間という資産を投資していると気づくべきだ。

また、準備しすぎることはなんのリターンも生まない。一方で、挑戦したという失敗を含むその「経験」は、十分なリターンになり得ることを忘れてはいけない。

 

人生で変えるべきは「意識」でなく「行動」である

ここまで読んで頂いたなら、あなたの意識は多少変わっていることだろう。しかし意識が変わったとしても、人生に変化が起きる可能性は非常に低い

なぜなら行動が変わらないと、人生の変化という結果は起きようがないからである。

「意識が変われば行動が変わるのではないか」という意見もある。僕もそれには同意だ。

しかし、重要なことは「アプローチは間違っていないが、結果が変わる可能性は低い」ということだ。

そもそも人間の思考はそのほとんどが無意識下で行われている。よって、行動は無意識が引き起こしているものがほとんどだ。一般的な習慣と呼ばれるものは、この無意識下の思考によって起きていると言ってよい。

一説によれば、”人間は95%が前日と同じことを考えている”とも言われている。それほど意識は変化を嫌う。しかも必ず何らかの行動を挟まない限り、結果が変わることはないのである。

人生に違う結果をもたらすためには、より直接的に”行動”を変えるというアプローチの方が余程懸命ろう。むしろ意識が本来の意味で変わるときは、実直に行動を繰り返し、変化という結果を積み重ねた後の話になる。

自分の”元々持っている意識”に反した行動をするのは、とてもしんどい。ここを乗り越える方法については、僕もいろいろ考え実践してきた。それこそ自分の意識に訴えかけ、変化を待っていた時期も長かった。当然うまくいかない。

多少マッチョな物言いになるが、「不自然だなあ」とか「しんどいなあ」と思いながら、または意識しながら行動するのが一番シンプルであり、結果的には良いと僕は考えている。

結果が変われば、どこかでいつか意識が変わると信じる他ない。

 

ここまで読んでもらい、人生に最も重要なことを選択し、資源を集中する人が何人いるだろう。結局は、あなたも僕も自分の人生に責任をもち、主体的になることしか解決策はないのだろうか。

かつてカントという哲学者が「苦しみこそが、活動の原動力である。活動の中にこそ、我々は生命を感じる」と言ったそうだ。

苦しみを原動力に明日を生きることは決して間違いではないのだろう。僕はそう信じたい。

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