LaT! : Live as Think

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悩めるサラリーマンが悩んだ挙句に転職するまで

組織において仕事ができる人に共通する4つのこと

仕事ができると人生はかなり楽しくなる。日本においては当然だ。他国と比べ仕事に割く時間が圧倒的に多いからである。であるならば、凡人は仕事ができる人をまず見習う必要がある。

かく言う僕も凡人の一人である。それ故、今の僕が属している組織で「仕事ができる」と認知されている人たちの共通点を探った。共通点があり、それを真似できれば、仕事ができる人に近づく可能性はグッと高まるだろう。

以下に僕が見つけた共通点をまとめる。共通点は4つだ。

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発言力があり、その発言は論理的である

仕事ができる人はとにかく発言する。自分の考えや意見を伝える能力が高い。その発言が、嵐を呼ぶ可能性があったとしても、または意見が間違っていたとしても臆することはない。なぜなら「発言すること」が組織に貢献することだと理解しているからだ。

仕事ができない人たちはこの部分を勘違いしている。

「会社の言うとおりに働いているのに評価されない……」

という、よく聞く愚痴はこの勘違いに由来している。

会社は言うことを聞く人材が欲しいのではない。大前提として会社に貢献できる人材が欲しいのだ。うんざりする「形式だけの会議」や、「質問・意見が一つも出ない生産性のない会議」を繰り返すことが、会社に貢献することなのか。いや、それは間違っている。組織は個人の発言を明らかに待ち望んでいるのだ。

もう一つ重要なことがある。仕事ができる人の発言は論理的であるということだ。一般的な組織に属している以上、論理的であることが発言力を最も高める。また発言力が上がれば、自ずと組織内でのプライオリティが上がる。

ではなぜ一般的な組織において、論理的であることが必要なのか。よく会社の上司が

「それのエビデンスは?」

と、わけの分からない言葉で折角の発言を台無しにする。しかしながら、これには理由があるのだ。

一般的な組織と「友達等のコミュニティ」と比べると分かりやすい。友達とは「趣味嗜好や、その他の共通点」があるので集まっている集団である。この場合、発言の論理性は重要視されない。論理を展開せずとも言いたいことが伝わるからだ。

一方組織とは、趣味嗜好とは全く関係なく、目的(=利益)のために集まっている集団である。後はお分かりだろう。共通点がない前提で集まっているので、論理的でないと言いたいことは伝わらない。よって、発言にはエビデンス(=証拠)が必要である。また論理展開として、帰納的もしくは演繹的な発言が求められるのだ。

 

社内外でスペシャリストとして認知されている

組織そのものは上で述べたとおりのピラミッド型である。では組織の中で行われている業務はどういった形だろうか。

殆どの組織は、それぞれ専門性をもった小さなグループに分けて、仕事を分担させている。専門性とは理系的な研究分野のことではない。これは「経理・総務・人事・営業」といった分け方のことを指している。経理は基本的に営業は行わないのだ。

この前提があるが故に、組織において仕事ができる人は大抵「スペシャリスト」である。例をあげよう。組織の中でのある会話。

Aさん「これどうしたら良いだろう?」

Bさん「それならCさん(=仕事ができる人)に聞いてみると良いよ」

こういった会話は、社内に限らず社外においても頻繁におこる。頻繁におこる理由は簡単だ。組織は専門性をもった人間の集まりだからだ。知らないことや分からないことは、その道のスペシャリストに聞いてしまうのが一番効率的である。

言い換えると、ある専門性に関してスペシャルだと認識されていると、自然と相談が集まるのである。これが仕事ができる人に「仕事が集まる」理由である。相談と書いたが、たかが相談と侮っては、瞬く間に「仕事ができないやつ」という評価になるので要注意だ。

相談とは、社外においては「ビジネスの種」となり、社内においては「信頼と感謝」に繋がる。仕事ができる人は「この種」と「信頼」をとても大事にしている。

 

決裁権を便宜的に握っている

組織は厳格な意思決定を行い、事業を推し進める。またその構造はピラミッド型である。よってピラミッドの頂点である代表取締役社長が全ての決裁権を握っている。

しかし決裁で時間がかかり日常業務が怠らないよう、ピラミッド中段付近の部長や管理職が「一部決裁権」を握り事業を推し進めている。これはごく当たり前のことである。

組織において部長職でなくとも、仕事ができる人はたくさんいる。彼らは決裁権は持っていない。その中で仕事ができる人は、この一部決裁権を「便宜的に」持っているケースが多い。

仕事ができる人は部長に「OK」と言わせる力があるということだ。実際は持っていないので「便宜的に」と書いた理由がそれだ。

組織は厳格でかつスピーディな意思決定をするために、ピラミッド中段にも決裁権を与えている。しかし実際のところ、事業を推し進めているのはピラミッド末端で、手足を必死に動かしている現場に近い人間である。

よって部長は、彼らの中で最も発言力がある人間の話に、耳を傾けざるを得なくなる。こうして仕事ができる人は、決裁権を便宜的に握るのである。

 

好循環に入っている

世の中はその全てが「行動→結果→行動→結果……」というサイクルに基づいて動いている。組織や個人もこのサイクルに必ず基づいている。

サイクルについては手前味噌で恐縮だが、以下のエントリに詳しく書いているので、興味がある人は読んでみて欲しい。 

jibukan.hatenablog.com

このサイクルを仕事ができる人に当てはめれば以下のとおりの現象が起こっている。ごく単純である。

「仕事ができる→仕事が集まる→仕事がよりできる→仕事がより集まる……」

仕事ができる人は、より多くの仕事が集まるポジションにつき、そのポジションが仕事ができる人をさらに成長させているのである。サイクルである以上、好循環と悪循環どちらかしかない。仕事ができる人は好循環の波に乗っているのである。

また「人間はポジションに育てられている」という点も見逃せない。ポジションが上がると「責任や任される仕事の質」が上がるので、結果としてその人間はポジションに促され成長する、というのがその仕組みだ。

いつまでも同じポジションにいては、個人のレベルはどれだけ頑張っても上がらないのだ。これが悪循環である。

 

 

以上から「発言力を上げて、スペシャリストと認知される。そして決裁権を便宜的に握る」ことができれば、きっと否応なしに「仕事ができる人」として扱われるだろう。

ただし上では述べていないが、これは「熱意をもって目の前の仕事に取り組む」という仕事に対する当たり前のあり方が大前提のようである。