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悩めるサラリーマンが悩んだ挙句に転職するまで

目標がなくても目標達成と同じ結果を得られる生き方

コラム TIPS

僕達が生きている世の中では目標を立てることが奨励されている。もはや強制目標社会と言えるかもしれない。子どもの頃から、「目標=夢を持とう」と言われて僕らは育てられる。

目標がない、もしくは目標を立てたとしても達成できないことは悪という烙印を押される社会なのだ。

確かに目標を持って頑張っている人たちがいる、素晴らしい。しかし、大多数の人が目標を立てられたとしても、なかなか達成できないのではないだろうか。世間にこれだけ「目標を達成する方法」が溢れかえっていることを踏まえれば、すぐに分かることである。

今日は「目標を立てない生き方」について書き残そうと思う。なにも無気力になれと言っているのではない。目標がなくても、目標を持ってそれを達成した人たちと同じ結果をもたらす生き方の話だ。

人生に計画なんていらないし、目標なんか作らなくて良い。目標社会に少し行き詰った人たちに届けば幸いである。

 

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目標は不要な手間を生みだすだけ、作るだけでは何も生まれない。

目標は適切に設定するのにそれなりの手間がかかる。なぜなら目標を作るということは、目標を達成することとほぼ同義であるからだ。

達成できる可能性がゼロである目標は無意味である、従って目標設定はその実現可能性を吟味しなければならない。

「今年中にハリウッドセレブになって、アリアナ・グランデさんと交際する」

果たしてこの目標に実現可能性はあるだろうか。おそらくない。一方で、

「毎日、水分を100ml以上必ず取る」

この目標はどうだろうか。おそらく意識せずとも達成できる。実現可能性は非常に高い。しかしこの場合、達成して得られる成長はおそらくない。要は「高すぎず、低すぎず」を世間の状況と自分の現状から導き出した上で、目標を設定しなければならない。

これは手間であり、あなたに不要な悩みを確実にもたらす。そんなことをして、うだうだ悩んでいるほど僕達は暇ではない。

また確認する手間もかかる。結局毎日、毎週や毎月ごとに成果を確認しなければならない。たとえ成果が出なかったとしても、だ。だいたい世の中の物事は「比例的」に進まない。

自分の成長も然りである。比例的に成長はしない。指数関数的だったり、停滞→成長→停滞だったり……。一次直線的な成長はあり得ない。その中でどの程度できたかを確認しなければならない。これは単純につらいだけである。

そして何より、目標は作ったとしても、それだけでは何も生まない。これほど手間がかかるのに、作った目標そのものは何も生んでくれないのである。これだけ手間がかかるのに、作っただけでは意味がない。もしくは作ったという達成感だけしか残らない。残念であるが、これは事実だ。

結局のところ、自分で勝手に作った目標を自分で勝手にやぶり、達成できずに落ち込む。これが全てとは言わないが、実際多くの人に当てはまることだろう。手間だけとって、何もないのが目標設定なのである。

 

人生は「判断→行動→状態→判断→行動……」の繰り返しである

人生はどのようなサイクルかを考えてみよう。人間が取りうるのは行動だけである、そして取った行動は必ず何らかの状態を生む。その状態を受け、判断を行い、次の行動を取る……以下繰り返し。

行動は「判断」によって常にもたらされ、判断は「状態(あるいは結果と言い換えても良いだろう)」によって常にもたらされ、状態は「行動」によって常にもたらされている。この循環が全てである。

「状態が判断をもたらすこと」に疑問をもたれる方もいるかもしれない。そういう方は状態を「経験」、判断を「性格」と言い換えると分かりやすいかもしれない。先天的な性格があるにせよ、性格とは経験から作られる部分がほとんどである。

人間とは経験を積み重ね、それを束にして性格とし、価値判断を行う生き物なのだ。

話を元に戻そう。サイクルと簡単に言ったが、実はこれが最も重要な事実である。なぜならサイクルは「好循環」と「悪循環」しかないからだ。人生は良いほうか、悪いほうかに常にサイクルしているのである。

この事実に気づけば、対処は実は簡単である。このサイクルが「悪循環になっていないか」を監視し、「好循環になる」ように常に仕向ければ良いのである。

 

良い判断を繰り返せば、必ず良い結果(状態)になる

さて結論である。目標を立てて進まずとも、僕達は都度良い判断さえすれば、人生の循環が、良い人生をもたらしてくれるのである。どうだろう、あなたは簡単だと思えただろうか。

実際これは簡単ではない。正確に言うと、「仕組みそのものは簡単であるが、仕組みを運転させることは簡単ではない」。なぜならこの仕組みを運転させるために、僕達が対決しなければならない相手がいるからだ。

それは「無意識」である。人間の判断は、そのおおよそ95%以上を無意識が行っているとされている。判断は「無意識」のものなのだ。ではどう対決し、勝てば良いのか。「それは無意識に意識を向けること」そして「自分にとって価値がある判断を意識的に選ぶこと」、この2つである。

常に自分にとって価値のある判断なのかを吟味するのである。吟味すると言ったが、人間は瞬間的に価値があるかを判断できる。人間の脳は発達している。それは心配しなくて良い。

むしろ心配もしくは考慮すべき点は、無意識が取っている判断は常に「”生”を全うする」ために行われているという点だ。無意識が取る判断は、生きるために現状の変化を嫌い、自分の意識が描く未来を見据えていない時があることに着目した方が良い。

無意識は生きるために十分な選択をする。ただ僕達はそれだけでは満足できない社会的動物なのだ。社会的な成功、またそれ以上のことを欲するのであれば、この人生における判断を「より価値のある判断」に意識的に昇華するほかないのである。

 

※目標とは誰のものなのか(補足)

目標を全否定してきたが、目標を持って行動できる方々を否定したいわけではない。ここまで展開してきた話は、「僕達の生き方の一つのアプローチ」にすぎないことを付け加えておく。

では目標とは誰のものなのか。ここでは話してこなかったが、実は目標が必要なものがある。それは「組織」だ。なぜなら、組織は共通する目的を持った集団だからである。

目標による組織管理とはピーター・ドラッカーが提唱したマネジメント方法であり、現代企業に多く採用されている手法である。企業とは目的を持った個の集合体である。

企業の目的を完遂するため、まずは目標を定め、個が共有する必要がある。さらに目標を完遂するための手段を個がタスクとして担う必要があるのだ。これが組織が目標を設定する意義である。

しかし、組織において目標管理は必ずしも必要でないという議論もあり、何が正解というものは現代においても未だ発見されていないようである。結局これもまた、一つのアプローチにすぎないなのである。

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