LaT! : Live as Think

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悩めるサラリーマンが悩んだ挙句に転職するまで

僕の自由を奪い、不自由にしているのは誰なのか

タイトルを「自分の気分に振り回されない方法」から変更しました。内容も若干修正しています(16/4/25追記) 

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思うがままに生きたい

僕は、人前では繕うことが上手なタイプだ。

しかし最近、それが行き過ぎたようでなんとなくしんどくなってた。しんどくなってくると、今度は"自分の思うがまま気分に任せ、自然体で生きたい"と願うようになった。

元々、僕はふたご座のB型という、THE・気分屋なので、この繕うことから開放されたいというのも、今振り返ると必然だったのかもしれない。

 

感情はコントロールできない

随分前に何かの本で感情はコントロールできないということを知った。感情はとてつもなく天邪鬼で、主体的にコントロールしようとすればするほど余計に反発されてしまうらしい。

感情は脳の中の大脳辺縁系が司っていて、人間の生存本能に則した言わば"リアクション"のようなものらしく、そもそもコントロールできるものではないとのこと。 

なるほど、そもそも感情=気分はコントロールできない。ならばいっそほったらかしにしようと決めてしばらく生活した。

 

これで上手くいくだろうと考えていた。しかしなぜだろう、結局しんどい。感情をコントロールすることを手放せば(やめれば)、もっと自然体な自分でいれると思っていたが、うまくいかない。

確かに自然体では入れるような気はするが、如何せん気分の浮き沈みによる自分の乱高下がすごい。自分の感情に振り回されているような感覚だ。もともと自分は気性が荒くて、浮き沈みするタイプだったのを思い出した。

結局気分が良いときはOKなんだけど、気分が落ちてる時は最悪で、「あーやる気でねー」ってなる。

「やる気が出ないことを理由にして何もできないと思っている自分」が嫌で余計落ち込んでしまう。まさに悪循環じゃないか。

 

何も手を加えないが観察は続ける

このままではしんどいだけなので、ある友人に現在の状況を話して相談した。

「コントロールするとか(敢えて)しないとか言ってる内は気分に振り回されるよ。感情から距離を置いてみたら。離れてみて観察するんだよ。」

と言われた。感覚的な意味合いが強い。全く理解できない人もいるだろう、申し訳ない。だが「離れる」という言葉を聞いた時、僕の胸はとてもスッキリとした。

「感情のコントロールを"敢えて"しない」と考えていても、結局それは気分から離れられていないんだ。

 

気分の浮き沈みとは自分の中で起こっていることなんだけど、それと距離をとる。気分の浮き沈みを観察するような感覚、ただただ見てるたけ。

これを試みると何が変わるかというと行動が変わる。気分に行動が左右されにくくなる。

「することはすること」「起こる気分は起こる気分」のように分けることができる。自分の気分はほっておいて「すること」に専念できる。

気分の浮き沈みがまるで自分の外で起こっているような、そんな感じになる。

 

 

後で分かったことだけど、これは心理学でいうメタ認知というやつなんだ。まるで自由を勝ち取ったような気持ちになった。

きっと人間は誰かに不自由にされるのではなく、自分で自分を不自由にしているんだろう。