LaT! : Live as Think

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LaT! : Live as Think

悩めるサラリーマンが悩んだ挙句に転職するまで

「普通こうだろ」はやめよう、素直な気持ちを受け入れよう

コラム

会社の同僚からある人を紹介してもらい、その人と一緒に食事をした。とても面白い人だった、明るくてサバサバしていて、思ったことを思った通りに言って、思った通りに生きてる、そんな印象を受けた。あー羨ましいなと心から思った、こんな生き方をしたいなと思った。

 

その人は僕より年上で35才らしい。面白い話を色々としたんだけど、一番驚いたのは彼は20代の頃、今と全く違う性格だったらしい。ウジウジして人に対してとても「依存的」だったと言っていた。そんな自分が嫌で、自分を変えたかったと言う。「まさか、想像できないなー、本当ですか〜?」と思わず言ったけど、どうやら本当のことらしい。今の彼にとって20代の頃の話は苦い思い出なのかもしれないけど、その苦い思い出をサラサラっと話す彼は、もうそこから抜けてるんだなと思った。おそらく本当にウジウジしていたんだけど、そこからポンっと抜けたんだろう。

 

気になる、どうすりゃそんなに変われるんだ。素直に聞いてみたら、面白い答えが返ってきた、「ホノルルマラソンに参加して完走したんよ」だって!(ちなみに彼は運動嫌いではなかったらしいけど、文化系の人だったらしい)

 

いや、すごいよ。自分の中の何かを変えたい時、自分にとって困難なことに挑戦してみるっていうのは手段の1つとしてあると思う。でもマラソン未経験者がいきなりフルマラソン走るか?彼曰く、「大変だったけど、それだけ鬼気迫る、ヤバい状況だったんだと思う」とのこと。とにかく藁をもつかむ思いだったようだ。さらに、この後が面白い。彼は「いや、走り切ったら何かが変わると思ったけど、何も変わらなかったんだ」と言う。待て待て!この場合、一番怖いのは挑戦して達成したけど、その先に何もないかもしれないということだ。それが怖いからこの経験に対して、何かしらの意味付けをするもんだろっと思った。

 

何も変わらなかった彼が次に何をしたのか?「富士山に登った」だって!嘘やろ、文化系なのが嘘やろ。走るのがダメだったから、登るを試したとのこと。もう何となく答えが分かるけど、続けて彼が「登り切れば何かが変わると思ったけど、何も変わらなかった」と言った、やっぱり言った。挑戦して達成しても、何も変わらなかったはずなのに、彼は明らかに20代の頃と大きく変わっている。まるで矛盾しているように見えるけど、実はこれ全く矛盾していないと気づいた。自分との違いに気づいた。

 

もし僕が彼の立場だったとして、ホノルルマラソンを完走して本当に何も変わらなかったら、このマラソン完走の経験に無理やり意味付けをして、「これにはこんなに良い意味があったんだ」と言っただろう。だって「普通こんな経験したら、何か意味ないと嫌だろ」と思う。その強烈な経験に何かしらの意味がないとおかしいと感じる。この強烈な経験に「依存」している。もしかしたら、意味がないことを受け入れられず絶望するかもしれない。

 

でも彼は違う。意味がなかったということを受け入れている。自分の心の中にある「何か変わるかもしれない」という期待が裏切られたとしても、自分に起こった感覚を素直に受け入れている。強烈な経験をしたとき、人間は「これを糧にする、これは必ず自分に何かを与えてくれる」と思うだろう。でも何も起こらない、変わらないかもしれない、それでいいじゃないか。彼はきっと自分に湧き起こる素直な感情に従うことで、依存から抜け出したんじゃないかな。

 

「普通こうだろ」はやめよう、素直な気持ちを受け入れよう。面白い人に出会った、彼にはまた会いたい。

 

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