LaT! : Live as Think

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悩めるサラリーマンが悩んだ挙句に転職するまで

人生に意味はない、だからこそ自由だ

人生に意味はない、だからこそ自由だ、自由に意味をつけることができる。でも自由であるがゆえの厳しさがある。そんなことを週末に本屋の横のカフェで一服しながら母と話していた。

 

人が生きるってことに多分意味なんてない。この話をすると、人生に悲観的な人だと勘違いされるんだけど、投げやりに「どーせ、意味なんてないよ……」って言ってるわけじゃない。意味がないっていうのはネガティブなことではなく、それは裏返せば「自由」であるということ。だから意味がないことに絶望する必要はない。

 

これは人生を海に、自分を船(もしくは船長)に例えるとイメージを共有しやすいと気づいた(ありきたりな例えだな~とか思わずに、ちょっと聞いてみてよ)

 

人生を海に例える、広い、とにかく広い。向こうが見えない。北に行く?東に行く?それとも進まない?自由だ、とにかく自由。目的がわからないまま、僕らは海に出された。その海の中で僕らは意味っていう錨を下ろす。意味っていうのは錨みたいにそのものをあるところに留めておく作用があるんだと思う。ガチガチに固定するんじゃなくて、一定の場所にはいるけど、その中で船自体は、ある程度自由に動くことができる、そんなイメージ。そこで僕たちは漁をしたり、休憩したり、船を修理したり、パワーアップさせたり、もしかしたら同士を待ってみたり、探してみたりする。そして、留まる意味がなくなれば、また錨を上げて次を目指すんだ。時には自分でコントロールすることができない理不尽な天災や大波に見舞われることもあるだろう。でも僕らはそこで錨を下ろして(意味づけして)、その大波を耐えしのぐんだろう。

 

ああ、「自由」だ、みんな好きなように自分の人生に意味付けして良いんだ。錨を下ろすのも上げるのも自由、どこに行くのも自由なんだ。だから厳しいんだよ、全て自分で決めなきゃならない。自分の人生をどうするか決めるのは自分なんだと思う。実はこれはもっと突き詰めると、「自分で意味を決めること=意味を”与えられる”こと」だと気づく。話がまとまらなくなるから、それは置いといて。

 

僕は今、錨を下ろしているんだけど、正直に言うと「なんでここで錨を下ろしたんだろう」と思ってる。それは、きっと自分が腑に落ちる意味がないような気がするからだ。錨はいつでも上げられるんだね、下ろした錨が上がらないと思っているのは自分だけ。それが分かっただけでも救われた気がした。